倉岳町
〜なぞ多き石碑たち〜
大権寺跡の古塔群

 棚底地区が一望できる山崎地区に大権寺(おおごんじ)跡と称される一画があり、そこに五輪塔と宝篋印(ほうきょういん)塔と呼ばれる古塔群があります。約50基ほど確認できますが、未発掘なため地中に埋もれているものも多数あるようです。その数はおそらく天草でも最も多いものと思われていますが、この古塔群の特徴的なことはその数の多さと、台座に年号が刻まれていることです。延文三年(1358)を筆頭に、康安元年(1361)、永徳三年(1383)、永享十二年(1440)の年代が確認できます。南北朝時代から室町時代にかけてのものですが、延文三年は年代が刻んである石碑では天草で最も古いものです。またその年号から当地が北朝方の影響を受けていたことが分かります。
 すぐ近くの丘陵には中世の文献にも登場する棚底城跡があり(200年近く時代の差はありますが)、城主関係の供養塔と解されています。また、刻まれている供養名らしきものは禅宗関係のようで、周囲にはゼンノア(禅の庵か?)、シュウアン、アンノサコなど古寺の存在を匂わせる地名も残っています。
 これらの古塔群の歴史的位置付けは不明ですが、同じ場所に天保年間の勧請地神の碑があり、どこからこの地に移されたものだろうかと言われています。
 また大権寺は黄金寺とも記されることがあり、棚底城跡とともに中世が感じられる場所です。







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